近江八幡に壱製パン所がある文化

ひさご寿司/川西 豪志

 文化とは人の営みの集積とも言います。壱製パン所と谷さんというパン職人が近江八幡でもたらした事は、おいしいパン。であることは足しげく壱製パン所に通う人たちが証明しているわけですが、それだけにとどまらない事を料理人として感じています。

 近江八幡市堀上町にある壱製パン所は、私の生家からわずか数百メートル。子どものころには確かにそこに在った中華料理店が、日本料理修行から帰郷してしばらくした頃、パン屋さんに変わっていました。小学校時代からよく友達の家に遊びに行く道すがら、そこはいつも見慣れた雰囲気から、唐突にパン屋さんが現れた!そんな感じだったと思います。しかしながら、オープンして数年の間はじつはパン職人・谷雄一に出会うことなくすごしていました。あの谷雄一に。不思議なものです。

 濃厚クリーム&オリーブオイルソースのような谷さんを頻繁に食していても、いっこうに飽きるものではありませんが、私が20代だったらとてもお相手できないでしょう。というのは、「谷雄一」というキャラクターには熱意と誠実と繊細と適当と大胆がごっちゃになって、行動とボキャブラリーに表われているのだから、谷さんを好物と言えるのは全員ではないはずだと思います。それでも私がリスペクトを惜しまないのは、単に同学区のパイセンであるからではなく、私がマニアックな日本料理や郷土料理の話をする事、マジメで面白くもない話にも真剣に取り合ってくれるからです。

 日本料理を生業にしている料理人にとって、仕事としてパンを作る事はほぼありません。もちろん私も美味しいパンは好きだし、美味しいパンを食べる事は人生の楽しみの一つとも思っています。けれども、谷さんに出会うまでは「パン」という食文化、など言う事は考えたことがありませんでした。パンという食べ物、食文化とはどういうものなのでしょうか?小麦を焼いて美味しくするために人類がたどり着いた技術の数々。それを真剣に考える谷さん。日本料理と郷土料理にそれを置き換えた時、日本人は、滋賀県人は、近江八幡の料理人は目の前にある郷土を最高に美味しく楽しくできているのだろうか?と、いつも考えさせられます。

 そして2019年に姉妹都市であるイタリア・マントヴァ市に、谷さんをはじめ近江八幡の友好使節団の一人として訪れた時、文化を保持・伝承することの素晴らしさを実感することができたのです。もちろんマントヴァのまちが世界遺産であることはとても素晴らしい事ではありますが、それよりもマントヴァで暮らす人たち、マントヴァの人たちが織りなす食と音楽と建築、そして宗教や哲学を包摂して表われている文化はとても楽しく素晴らしい。その経験から、なお一層この谷さんと近江八幡はマントヴァと同じく素晴らしく楽しい場所ではないのか、とさらに強く思うようになりました。

 近江八幡は素晴らしく楽しいまちなのか。かつて私の親世代から耳にしてきた言葉は「何も無い」でした。しかしながらどうでしょう。「谷雄一」というパン職人がつくるお店とパン、そして彼が紡ぎ続けている人のつながりは、愉快です。時に谷さんのキャラクターにげっぷが出る人もいるかもしれませんが、日本料理人の私とパン職人の谷さんが望んでいる事はシンプルです。今ここに生きる幸せ。そのために明日も程よく仕事をするのです。

ひさご寿し