ブルースが好き、清志郎が好き、イタリアが好き…「性格が真逆ですね」と称される我々2人ですが…

株式会社ヴィーテ・イタリア 代表取締役/高岡 洋文




近くにパン屋さんがオープンしたから行ってみようと、その小さな店に足を向けたのは、何年前のことでしょうか?

ん?17年前?もう?(笑)

初めて訪れると、店構えがパン屋然としていないし、店内に入ると売り場もやたら狭いし、第一なんだ!このかかってる音楽は!?

ん?スティヴィ・レイ・ヴォーン? パン屋で、どブルースって・・・汗

「どないしはったんですか?この音楽!スティーヴィ・レイ・ヴォーンですよね?」

「え?知ったはるんですか?」

こんな会話が谷さんとの最初の出会いだったと記憶しています(笑)
それ以来、パンとワインにまつわる小さなイベントの共同企画は数知れず、頻繁に会っては飲み食いを共にし、僕の「知ったかぶりイタリア論」を食い入るように聞いてくれて、「高岡さんすごいっすわ!」「こんな人、近江八幡にいるんや!」と申し訳ないほどに褒め称えてくれるものだから…

「谷さん、フランスパンよりもイタリアパン極めはったらどう?」
という、今思えばだいぶ無理のあったような僕のススメにもノリノリになってくれて、「高岡さんイタリアに行きたいっす!連れてってくださいよ」

「イタリア語勉強するんで教えてください!」と猛チャージがあって、週に一回イタリア語講座を谷家で始めて2年ほど、ほぼ休みなしで進んだんじゃないでしょうか。


谷さんに対して、最初に「あ、この人好きやわ」と思ったのは(笑)、様々なイベントの中で僕はワイン、谷さんはパンの説明をするわけですが、必ず彼は結構な蘊蓄(うんちく)を垂れるんですね(笑)
パンの歴史と言葉のそもそもの名前の意味。
よく考えれば当たり前のことなんですが、実は結構避けられがちな事なんですね。
「難しいこと抜きで楽しんで」的なノリで。でも谷さんはそこを堂々としっかり言ってのける。
「そんなん当たり前やないですか!」と言わんばかりに(笑)

その後の活躍は、皆さんもご存知でしょう?

近江八幡市の姉妹都市マントヴァとの交流を推進する「マントヴァクラブ」なるものを結成したのは2010年でしたでしょうか。


初めて2人で来訪したマントヴァでは伝統的なパン屋でマントヴァパン星付きレストランでは伝統的なお菓子ズブリソローナを一瞬にして学び自分のものとし、それ以降1人でイタリアを来訪しては現地のパンを学んで、現地人と友好関係を結び、次々とイタリアンコネクションを増幅させる谷さんには舌を巻く以外にありません。

数々のイタリアパンの中でもローマで学んだピッツァ・ビアンカ・ディ・ローマは壱製パン所の定番中の定番になっていますし、僕の店でも時々使わせてもらっています。

我々2人がしでかした最高の企画は、「近江八幡マントヴァ音楽祭2016」ではないでしょうか。近江八幡市、マントヴァ市、イタリア国立音楽院、イタリア文化会館や地元商工会議所から地元企業に至るまでを巻き込んで「本質的な文化交流事業」が推進できたのではないか。


イタリア3大ヴァイオリニストの1人とも言われるマントヴァ音楽院教授のパオロ・ギドーニ氏をお招きして、近江八幡が誇る、世界的にも珍しい「人の住む湖の島・沖島」での小学校体育館コンサート、旧市街にあるインディーズ音楽の殿堂とも言える「酒游館」での超マニアックな演目も含めたコンサート、そして1000席を越える文化会館の大ホールを満席にした夜のラストコンサート&昼間に企画された、地元飲食店でマントヴァ伝統料理をアレンジしたマルシェ「メルカート・ディ・マントヴァ」そしてそしてマントヴァとの姉妹都市関係の起点ともなった天正遣欧少年使節にまつわる歴史講演。


僕も谷さんもヘロヘロになりながら、様々な人たちの協力を得ながら動かした思い出に残る(歴史にも残る?)企画でした。

イタリア側との折衝は僕が動かしたとはいえ、まあざっくり言ってしまえば、「高岡の夢想を谷が全て動かした」
と言っても過言ではないのではと、今思えばそう振り返ることのできるイベントです。


谷さんの人脈というか、日頃構築している地元での人間関係の信じがたい程の広さと強さを改めてまざまざと見せつけられたというか、同時に谷さん個人の勤勉さとか根性とか執念、あと嗅覚とか本能的な勘とか、全てを間近に感じることができて、僕にはあまりにも光栄過ぎましたし、今でも「足元にも及ばない人だよ」と畏怖の念すら覚えることしばし、な人なのです。