合理精神と“もったいない精神”を持つ異星人

元ドンク技術指導部 課長 高橋 宏

このたぐいまれな異星人谷雄一君、かつては見習いパン職人として、当時私が勤務していたドンクに在籍していた。自分の店を持ちたいとの強い意志のもと、吸収出来る全ての事を自分のものにしてめきめきと頭角を現し、短期間でチーフ兼任店長となった。より良いものを安定して作るための技術の研鑽はもとより、合理的で無駄のない工程管理と、それを担ってくれる部下への指導は群を抜いており、瞬く間に利益の出る繁盛店へと店を押し上げた。

その手法は部下を適切に指導した上で信頼し、任せるべきは積極的に任すというものだった。このことは社員はもとより店長自らの残業をも減らすという効果をもたらし、大いに生産性の向上につながった。

更に特筆すべきはそのロス率の低さである。いわゆる残品というもので、百貨店は閉店間際まで豊富なパンがあることを要求していたが、そのことは大量のパンを捨てることになるため谷君は大いに悩んだ。パンを愛し、丹精こめて作ったパンを自らの手でごみ袋に入れるという行為は(当時ドンクではロスパンの百貨店従業員への販売を禁じていた)心ある店長には耐えがたいことであった。このため谷君は、夕方の賑わいを作って一気に売りさばいて売り上げを伸ばし、閉店時にパンが無くなっても百貨店から批判されないようにした。そればかりか売り上げ伸び率ではフロアナンバーワンをキープして、逆に百貨店の信頼を得た。恥ずかしい話だが私は一時期、閉店時に店長不在となっている事態に激高し、谷君と口論になった事があった。当時の店長は朝星夜星と言われ、中小ベーカリーではそれが当たり前と言われてはいたが、異星人谷君の先見性はそれを見事に打ち砕いて実証してくれた。私はこの事を胸に、後に本社勤務となった時にこの考えを提案したが、無残にも相手にされることは無かった。

谷君の合理精神と“もったいない精神”は独立してからも揺るぐことなく壱製パン所に引き継がれている。早く行かないとパンが無くなるよ、との客の思いはベーカリーのブランド価値を高めている。さらには予期しない残り物のパンを買っても、また新しい発見に繋がるという好循環も呼び起こしている。谷君はまた海外研修を頻繫に行っている。異文化のパンを日本風にアレンジするだけでなく、本物に現地で触れながら食の本質に迫ろうとしている。私はかつて日本の風土に合った食事パンの開発を夢見たことがあったが、力不足で挫折した。夫婦共働き、男女の独身一人暮らし、独居高齢者世帯の増加の中で、夕食のパンでほっと一息、こんなパンを谷君に期待している。