朝ごはんに、壱製パン所さんのパンがあると、
幸せな気持ちで1日がスタートできます

珈琲オッタ 川合 恭子

壱製パン所さんは、近江八幡の街になくてはならない、おいしいパン屋さん。

朝ごはんに、壱製パン所さんのパンがあると、幸せな気持ちで1日がスタートできます。

特にオススメは、イタリアで修行された『ピッツァデビアンカデローマ』。11時頃焼き上がるそうなんで、ぜひ焼きたてを召し上がっていただきたいです!

はじめてのコラボは、もう10年ほど前。

珈琲オッタに、

ノルウェーとスウェーデンのニット作家、アルネ&カルロスが来日、ニットのワークショップを開催の折に、『北欧風シナモンロール』を焼いていただいたのがはじまり。

その後も、同じヨーロッパの食文化に精通されていることもあり、

毎年イースター前に、焼いていただくのは、スウェーデンの季節のパン『セムラ』。

カルダモン香るおいしいパンを、珈琲オッタのお客さまも『セムラ』の季節を楽しみにお待ちいただいております。

coffee åtta 珈琲オッタ

今では、谷さんのことを
家族が「彼女」と呼ぶほどの存在です(笑)

株式会社アンデケン/島田 渡

谷さんと初めての出会いは山登り
その前から知ってはいたのですが…
正直なところ、「クセが強く変わった人やなぁ~」というのが最初の印象でした。

その後も同じ飲食業を営んでいることもあり、少しずつ会う機会が増え、谷さんの仕事に対する熱心さや仕事愛に衝撃を受けたのを覚えています。

それからと言うもの、共通の趣味・バス釣りへ毎週一緒に出掛け、食事やBBQなどで仲良くなってからは僕の年間休日の90%(もしかするとそれ以上…)は一緒に過ごしており、今では谷さんのことを家族が「彼女」と呼ぶほどの存在になっています。(笑)

もちろん遊びばかりではなく、仕事でも試作品ができたら谷さんに味見をしてもらいアドバイスをもらったり、正直な感想をもらったりと、パンだけでなくいろんな知識を持った谷さんに感動させられています。

今では良き遊び友達でもあり良き仕事のライバルでもあり、谷さんのおかげで僕の向上心もますます上がっていると言っても過言ではありません。

ここ3年間、飲食業界はコロナウイルスにより莫大な衝撃を受けました。そんな中、近江八幡の飲食店が力を合わせ少しでも盛り上げようと始めた「近江八幡飲食店オールスターズ」。
各店で購入いただいきスタンプを押すスタンプラリーからスタートしました。

その後も嶋田家具さんや滋賀BMW湖東さんでマルシェを開催し、谷さんをきっかけに近江八幡の飲食店さんと改めて交流を深める経験をさせていただきました。

長々となりましたが谷さんは本当に素敵な人です。素敵なパン職人です。谷さんと出会ってから僕の1日のスタートは壱製パン所のパンで始まります(バタールとローマピザが大好きです)。

谷さんは近江八幡で人気パン屋として成功し、今なおパンの研究、語学の勉強に余念がありません。その熱心さを僕も見習い、お互い切磋琢磨しあえる存在で居続けられればと思っています。

チーズケーキの店 アンデケン

近江八幡に壱製パン所がある文化

ひさご寿司/川西 豪志

 文化とは人の営みの集積とも言います。壱製パン所と谷さんというパン職人が近江八幡でもたらした事は、おいしいパン。であることは足しげく壱製パン所に通う人たちが証明しているわけですが、それだけにとどまらない事を料理人として感じています。

 近江八幡市堀上町にある壱製パン所は、私の生家からわずか数百メートル。子どものころには確かにそこに在った中華料理店が、日本料理修行から帰郷してしばらくした頃、パン屋さんに変わっていました。小学校時代からよく友達の家に遊びに行く道すがら、そこはいつも見慣れた雰囲気から、唐突にパン屋さんが現れた!そんな感じだったと思います。しかしながら、オープンして数年の間はじつはパン職人・谷雄一に出会うことなくすごしていました。あの谷雄一に。不思議なものです。

 濃厚クリーム&オリーブオイルソースのような谷さんを頻繁に食していても、いっこうに飽きるものではありませんが、私が20代だったらとてもお相手できないでしょう。というのは、「谷雄一」というキャラクターには熱意と誠実と繊細と適当と大胆がごっちゃになって、行動とボキャブラリーに表われているのだから、谷さんを好物と言えるのは全員ではないはずだと思います。それでも私がリスペクトを惜しまないのは、単に同学区のパイセンであるからではなく、私がマニアックな日本料理や郷土料理の話をする事、マジメで面白くもない話にも真剣に取り合ってくれるからです。

 日本料理を生業にしている料理人にとって、仕事としてパンを作る事はほぼありません。もちろん私も美味しいパンは好きだし、美味しいパンを食べる事は人生の楽しみの一つとも思っています。けれども、谷さんに出会うまでは「パン」という食文化、など言う事は考えたことがありませんでした。パンという食べ物、食文化とはどういうものなのでしょうか?小麦を焼いて美味しくするために人類がたどり着いた技術の数々。それを真剣に考える谷さん。日本料理と郷土料理にそれを置き換えた時、日本人は、滋賀県人は、近江八幡の料理人は目の前にある郷土を最高に美味しく楽しくできているのだろうか?と、いつも考えさせられます。

 そして2019年に姉妹都市であるイタリア・マントヴァ市に、谷さんをはじめ近江八幡の友好使節団の一人として訪れた時、文化を保持・伝承することの素晴らしさを実感することができたのです。もちろんマントヴァのまちが世界遺産であることはとても素晴らしい事ではありますが、それよりもマントヴァで暮らす人たち、マントヴァの人たちが織りなす食と音楽と建築、そして宗教や哲学を包摂して表われている文化はとても楽しく素晴らしい。その経験から、なお一層この谷さんと近江八幡はマントヴァと同じく素晴らしく楽しい場所ではないのか、とさらに強く思うようになりました。

 近江八幡は素晴らしく楽しいまちなのか。かつて私の親世代から耳にしてきた言葉は「何も無い」でした。しかしながらどうでしょう。「谷雄一」というパン職人がつくるお店とパン、そして彼が紡ぎ続けている人のつながりは、愉快です。時に谷さんのキャラクターにげっぷが出る人もいるかもしれませんが、日本料理人の私とパン職人の谷さんが望んでいる事はシンプルです。今ここに生きる幸せ。そのために明日も程よく仕事をするのです。

ひさご寿し

キレッキレの目、大きな声、
早い喋り口調、人の数倍早く歩く…
紛れもなく異質な方であることを一瞬で気付かされた

NICOLAO株式会社 板東 寛史



決して多くを言葉にしていただいたわけではありませんが、働く姿をもって語られるからこそ、私の人生観に強烈な影響力をもたらしてくださっています。


壱製パン所の谷さんに初めて出会ったのは、私が大阪から滋賀へ移住してきて間もない頃。私が右も左も分からない、ただがむしゃらに目の前にあることだけに挑戦していた、いわば自分のことしか考えられないような未熟者だった頃です。


初めてお会いした時の印象は、キレッキレの目、大きな声、早い喋り口調、人の数倍早く歩く人、ここではお話しできないようなdelicateなトーク内容も含め、紛れもなく異質な方であることを一瞬で気付かされたのを今でも鮮明に覚えています。

のちに私は、そんな谷さんの強烈なファーストインパクトに覆い隠された本当の姿を、幸運にも知らされることになります。

私が創業間もない頃、世間と同じく漏れなくたくさんの困難が現れるわけですが、未熟な経営者にとってそういう時は、決まって手っ取り早く、安全でリスクの低い、効率的な解決策へと身を転じてしまいます。

そういう時というのは、経営はもとより、人としての原理原則や哲学が失われているものです。

当然、うまくいくことも、長く続くことも一切ありません。

そんな頃、谷さんのあの余裕は何なんだろうか、

あの大きな背中は何なんだろうか、

あの人脈は何なんだろうか。

私は勝手な憶測を張り巡らせ続けました。


「誰よりも懸命に働く職人」

そして数年かけて、それらは全て谷さんの「人格」であることに辿り着きました。

人を惹きつける魅力というのは、往々にして外見だったり、いわゆるその人のキャラクターで判断されることが多いです。

ですが谷さんにおいては、それらは全然違っていて、

誰よりも人脈に溢れ、誰よりも魅力的で、絶大な存在感を持つ谷さんは、

誰よりも懸命に働いている職人だったのです。

皆が寝静まっている間に目を覚まし、懸命に腕を振るい、もう休んでもいいだろうという時間にも、誰か人のために働いているのです。


「鉄の掟」

私が強く思うのは、これこそが谷さんの人生の鉄の掟、人格であるということです。

私の中で仕事とは、人生と同義語なので、次のように言い表しますが

鉄の掟を持った人生は強烈な力を持っています。

何があろうともブレず、突き進みます。

さらに、谷さんの鉄の掟には人に火をつけ、燃え上がらせ、その者たちは進み続けるという刻印がなされています。

私も、谷さんに火をつけていただいたうちの1人です。

私は谷さんに出会って、仕事を重ねることで、人格を高めていくことの大切さを知ることができました。

経営者に人格が無いのに、会社に人格など宿せるはずがないのです。

壱製パン所のパンには、谷さんの人格が存分に宿っています。

これからも時間の流れと比例し、全ての人々を魅了するという困難を成し遂げていかれることと思います。


NICOLAO

ゲーテ曰く「直感は過たない。過つのは判断だ」
人間に一番大事なのは、情報に裏付けられた直感

酒游舘・西村 明

私は1988年秋に近江八幡市に戻り家業に就きました。街に疎くなっていた私に妹がおすすめの飲食店を教えてくれました。その中に中華料理店の鳳仙がありました。ここの「もやしそば」はあっさりした醤油味で、とろ味があり好みでした。600円やったかな。
鳳仙の跡地に出来たのが壱製パン所。あの美味しい街中華の店主の息子さんがやってはるなら期待出来ると思いました。
私は、バゲットはどこのパン屋のでも大差ないと高を括っていました。ところが壱製パン所のは、噛むほどに味わいが深く感心しました。

谷さんはブルースに凝ってはります。私に会うと二言目には「明さん、(酒游舘で)ブルースのライブ演って下さいよ!」。
氏に目隠しで井上堯之のソロアルバム「IT’S NEVER TOO LATE」をお聴かせした事があります。イギリス録音、ゲストにミック・テイラー、リチャード・ベイリー等。レコードを掛けるなり谷さんは「これ日本人でしょう?」。身銭を切ってブルースに注ぎ込んではるなと感心しました。私は谷さんの発言に一目置く様になりました。

人間に一番大事なのは情報に裏付けられた直感やと思います。谷さんはアンテナを常に伸ばして様々な情報を仕入れてはるので尊敬しています。
ゲーテ曰く「直感は過たない。過つのは判断だ」

酒游舘

時に辛口やけど気遣いのできる、熱い熱い素敵な日本男児

是的菜館(シーダサイカン)料理長
貝塚 洋樹

谷さんとの出会いといえば10年程前なるでしょうか、たしか谷さんがホテルへパンの納品ついでに厨房へ立ち寄られ話をしたのが最初だったと思います。第一印象はオリーブ油の飲みすぎか、一杯ひっかけているのかと思うほどのマシンガントークのパン屋さんやなぁと。(笑)

ただ地域1番の美味しいと有名なパン屋さんと知っていたので、マシンガントークだけではないだろうと思っていました。料理や食材の話をひとつとっても次から次へと話が尽きません。この知識量+熱量は別次元でした。おしゃべりだけではないなと感じたのを覚えています。今では考えられない厳しい修業時代を経て、一流店の経営幹部にまでなられたことも、それを物語っているのでしょうか!そしてバス釣り、イタリア、愛車、ファッションと自身の好きなことを徹底的にやり込むプライベートも職人オタクでした。

そして何より人脈の広さがすごいですね、老若男女問わず飲食業界はもちろん、あらゆる業種の方との交友録には驚くばかりです。それだけのチャンネルを彼が持っている証ですね。素晴らしいです。その能力と求心力をもって近江八幡の老舗の皆様の賛同も得られて近江八幡飲食店オールスターズなるものを立ち上げられ、私もお声掛け頂き様々な経験をさせて頂きました。これも、私のような堅物にもいつも楽しく話かけて頂き、時にはパンのこと、料理のこと、地域のことを彼が話しをしてくれたおかげなのです。そして谷さんと話していると時間を忘れてしまいます。彼の魅力がそうさせるのでしょう。時に辛口のコメントも憎めないのはきっと彼の人柄だと思います。 

また谷さんの実家が町中華屋さんだったのも縁を感じました。見習いの時に一人で食事に行ったことがあるのを思い出します。その時、谷さんのご両親だったのでしょう、優しく話を聞いて下さったのを今も覚えています。チャンネルの多い彼のルーツを感じます。

要するに私の知る彼・谷雄一は、一流のパン職人でイタリア好きでバス釣りはボートも所有しガイドする程のプロ級で、車もこだわりの愛車を数台もち、身に着けるものもこだわるものには糸目をつけない、お茶目でどこまでも前向きで、猛アタックした奥さんは薬剤師さんと才色兼備で、お祭り好きで、ワイン好きで、自分のしたいことは誰に気兼ねすることなくする、時に辛口やけど気遣いのできる、憎めない熱い熱い素敵な日本男児だと私は思います。

これからも宜しくお願い致します。有難うございます。

中国料理 是的菜館

★谷さんって、ホンマ……★

Boulangerie 6  店主 まーぼー


ボクが谷さんの事を知ったのは、独立前に勤めていたパン屋の仕入先営業担当の方の一言でした。

『近江八幡においしいパン屋あるの、知ってます?』

草津で開業を考えていたので、「いっぺん行っとかな」と思い、お店に伺ってみると、バゲットやクロワッサンはもちろん、菓子パン、調理パン、サンドイッチ、焼き菓子まで、何を見てもおいしそう
その他、パンをおいしく食べる為のハムやチーズ、オリーブオイルやペーストまで揃ってる…

第一印象は、「これホンマに個人経営のパン屋なん?めちゃすごいやん…」でした。


数年後、ボクは草津で開業し、「もっとウチのパンを多くのお客さんに食べてもらいたい」と思い、様々なイベントに出店する中で、妻との会話から、
「店の前に広場あるし、ここにパン屋ばっかり集まってもらったらおもろいんちゃう?」という思いつきから、
「それやったら、あの人にも来て欲しいな…」と思って、すぐ電話してみると、
「ほな、いっぺんそっち行くわ」って。
数日後、向かいの近鉄「米八」さんのお弁当片手にご来店(笑)
「ええやん。おもろそうやな。それやんにゃったら、オレも出るで」と、谷パイセンのお墨付きを頂いてからは、
すごい勢いでイベントが出来上がって行きました。


その後も、お互いの店に行ったり来たり、

ごはん食べに行った先で、お酒飲んでガヤガヤしてたら、うるさすぎてお店の人に怒られたり(笑)

「パン職人」
「経営者」
「一家の大黒柱」

全てにおいて、豊富な経験と知識を持つ先輩の話は、とても興味深く、
会う度に「谷雄一」というキャラクターの魅力にぐいぐい引き込まれるばかりです。


そんな谷さん、パン作らせてもめっちゃすごいんです。
めっちゃおいしい(お世辞抜きで)のはもちろん、ありえへん量作ってんのに、めっちゃくちゃ速いっ‼
話聞く限り、こんだけの量のパン作って、バス釣りして、友達とメシ食って、イタリア語勉強して、アレしてコレして…

谷さんってホンマ…

尊敬ッス‼ パイセン‼

Boulangerie 6 (ブーランジュリー シス)

偏屈な男の焼く、美味しいパン。

株式会社はなみち
代表取締役社長 宇都賢一

時代は80年代の終わりから90年代のはじめ、ロックが商業的にもメインストリームで、団塊ジュニア世代の僕たちはやたらと人数が多く柄が悪かった。

最初に断っておくが、谷雄一という人とはそれほど親しいわけではない。

彼とは同じ高校の先輩後輩で彼が一学年上で、僕がバンド活動にのめり込むまでは同じサッカー部でポジションも同じフォワードだったと思う。そしてバイト先も同じだった。
バンド活動にのめり込むにつれ楽器や機材、スタジオ代とそれなりのお金が必要になり、彼がアルバイトしていた居酒屋を紹介してもらい働くことになった。元々人数の少ないサッカー部内でたいして親しいわけでもなかったし生意気な後輩くらいにしか思ってなかったはずで、彼は一緒に働くことについてあまり良い顔をしなかった。むしろあけすけに嫌そうな感じであった。とはいえ、授業を適当に終えて近江八幡から彦根まで電車に乗って駅前の居酒屋で一年間くらい一緒に働いたと思う。行き帰りの電車ではもっぱらギターの話(彼は忌野清志郎フリークで僕は高崎晃(ラウドネス)フリーク)で互いに相手の話には適当に反応して自分の音楽について熱く語った。人のまばらな電車の中でギター弾いたりもよくしたと記憶している。

最初に断ったように「それほど親しかったわけでもないが、青春期の割と多くの時間を共に過ごした」という意味で互いを感情抜きに冷静に見られたかもしれないし、とてもレアな関係性だったように思う。

その後彼は京都のホテルに就職して最後にパン職人として自立するのだが、その間のことはほとんど知らない。なんどか会うこともあって、相変わらず偏屈だなと感じていた。それは今も変わらない。

ただ、壱製パン所のパンは美味しい。それはほんとにそう思う。
『偏屈な男の焼く、美味しいパン。壱製パン所』、このコピーをプレゼントしたい。
彼が心酔していた忌野清志郎のアナーキーな思想からすると、今の彼の保守本流的な一面は意外な風に見えるかもしれない。
しかし、僕からすればそれは昔のままなのだ。正義とか平等、整合性、論理のようなものより、彼は半径10メールの身近で親しい人を理屈抜きに大切にする人だった。それこそが保守本流の美風で17歳の彼は既に完成した保守だった。

彼は修行の後、故郷の近江八幡に戻りパン屋を開業する。田舎の閉塞感が嫌で早々に飛び出した僕とは正反対だ。
とはいえ、彼に故郷愛があるわけではない(と思う)。彼が大切なのは半径10メートルの大切な仲間たちとのコミュニティだ。
もしも将来、紛争が起きて戦禍の中、故郷を追われることになっても、彼は親しい仲間を引き連れて見知らぬ土地でパンを売り、華僑の如く活躍し逞しく居場所をつくるに違いない。
場所はどこでも良いのだ。

何十年か先、そうではない平和な世の中で、偏屈な男の焼く、美味しいパン屋が、近江八幡の人々の間で愛され続ける長閑な未来を願いたい。

宇都賢一

普段からの振る舞いがまるでイタリア人

バルベッタ 岡村 嘉洋

私と谷さんとの出会いは2007年、Barbettaを開業する年でした。妻が近所に美味しいパン屋さんがあると聞き、買いに行きました。そこで私がイタリア料理のお店を始めると話したら、直ぐに食べに来てくれて、そこから付き合いが始まりました。

それから程なく、ヴィーテの高岡洋文さんと一緒にトリオ・オウミハチマネーゼを結成。年に3、4回、毎回テーマを定めて、イタリアの地方料理、ワイン、パンを各々が提案し、参加者の方に提供してきました。この会は私達を大きく成長させ、イタリア愛を更に深めたと思います。

彼のイタリア愛は留まることなく、イタリア語の勉強を始め、イタリアへ足を運び、現地のパン屋さんでも修行。毎回新しい発見を商品にし、次々と人気商品を生み出しています。中でもピッツァ・ビアンカは最高です。

普段からの振る舞いがまるでイタリア人、現地の友達と似て被るのです。年齢は谷さんが5歳年上ですが、イタリア人の友達感覚の付き合い、故に今でも良い関係が続いているのであります。

イタリア料理店 バルベッタ